【医薬の神様、病気平癒!】五條天神社を参拝しました
どうも、デンです。
今回は五條天神社の参拝記録です。
当神社は東京都台東区、上野公園内に鎮座する神社です。
五條天神社という社名から主祭神は菅原道真公かと思いきや、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
調べてみると、五條天神社の天神とは、天神さま(菅原道真)ではなく、天の神という意味合いだそうです。
お隣には花園稲荷神社がありますが、それぞれ独立した神社という形をとっています。
御由緒
神社でいただいた資料より
当社は、景行天皇の御代(110年頃)、日本武尊が東夷征伐の為に上野忍ヶ岡を御通行の際、薬祖二柱に御加護をいただいた事に感謝し、茲に両神をお祀りなされましたのがご創祀であります。
堯恵法師の北国紀行に「正月の末武蔵野のさかい忍ケ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり」云々として記され、この正月は室町時代(文明十八年)とされております。
大己貴命は大国主命とも称され、須佐之男命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童話で知られている神様です。
少彦名命は、神産日神の御子で、蛾の皮の着物に豆の実のさやを舟にして出雲の国に御到着されます。ここで大己貴命と兄弟の縁を結び初めて国民に薬の術と病を癒す方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされた神様です。
相殿にお祀りしてあります菅原道真公は、江戸初期寛永十八年に合祀されました。(相殿とは、後から合祀されることです。)
社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職瀬川家の屋敷内に、大正に至る迄遷座されましたが、昭和三年に現地に遷座されました。
当社は古くから「天の神」を祀ることにより「五條天神」と呼ばれ、薬祖神としての尊崇が篤く、平成二十二年五月、ご創祀より壱千九百年の記念大祭が斎行された、東都有数の古社であります。
鳥居
1926年建立の石造り鳥居です。
よく見ると柱のみ新しいです。調べてみると東日本大震災で柱に亀裂が入ったため、震災後に柱のみ新しく再建したとのことです。
右隣には花園稲荷神社の鳥居があり、隣接する配置となっています。
狛犬
鳥居をくぐったところに一対の狛犬が鎮座しています。
参拝した日の天気が良く、逆光で吽形の狛犬がほぼ見えなくなってしまいました。
鳥居と同じ1926年の奉納です。
参道
階段を下りるくだり参道であり、こういった参道は珍しいと思います。
手水舎
参道を進むと右手にあります。
変わった形をしていますが、これは蓮の花の形です。
そして手水舎の屋根には鳳凰像がありました。境内は緑が多く、写真では見にくくなっていますが...
社殿
参道の正面に鎮座しています。
1928年に遷座したものが現存しています。
幾度となく遷座している当社ですが、立派な佇まいです。
こちらはお隣の花園稲荷神社の境内からの写真です。
狛犬
社殿前に一対の狛犬がいます。
青銅製であり、かなりスマートな体格です。
野球選手で言うとイチロー選手のような印象で、おそらく相当な俊足です。
境内社:七福社
参道の右手にあります。
江戸時代に上野の繁栄を願って、上野山内の各門に作られた祠の一つと云われています。
西鳥居
ここから入ってお隣の花園稲荷神社に向かう参拝者もいらっしゃいました。
元気石
勝手に名付けました。
境内の石に「元気」と書かれていたので思わず撮影しました。
こちらは社務所から境内を撮影した写真ですが、手前に見える土の部分にありますので、参拝した際には探してみてください。
神輿庫
社務所
こちらで御朱印をいただきます。
御朱印
中央に墨で社名が記載されていないためか、シンプルな印象です。
所感
東京都台東区に鎮座する五條天神社を参拝しました。
今回参拝した理由は私自身の体調回復祈念です。
私事ですが、少し体調を崩して入院しておりました。
幸い短期間の入院で済んだのですが、当社の御祭神が医薬の神様として知られているため、退院後のさらなる体調回復を祈念して参拝しました。
そんな中見つけた「元気石」は本当に嬉しかったです。
さて、隣接する花園稲荷神社は縁結びのパワースポットとしても知られています。
上野公園に観光に来た際には、当社と花園稲荷神社の両社に参拝してはいかがでしょうか。
アクセス
住所
東京都台東区上野公園4丁目17
JR 上野駅 公園口 徒歩約5分
東京メトロ日比谷線 上野駅 公園口 徒歩約5分
東京メトロ銀座線 上野駅 公園口 徒歩約5分
京成電鉄 京成上野駅 徒歩約5分
駐車場なし