【目指せ、玉の輿!】洲崎神社を参拝しました
どうも、デンです。
今回は東京都江東区にある須崎神社の参拝記録です。
創立は徳川五代将軍綱吉公の生母・桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、1700年に江戸城中紅葉山から現在の地に遷して洲崎弁天社と称すようになりました。
当時は風光明媚な場所で江戸の観光地として人気が高く、周辺は潮干狩り・初日の出・月見の名所として賑わったそうで、浮世絵の題材にもよくなったようです。
ご利益
パンフレットより
水の神であり食物を養い子孫を恵み家内安全、技芸、学業、事業大成、雄弁と知恵、財徳を司る神であります。
目指せ、玉の輿!
パンフレットのご利益には記載がありませんが、桂昌院が「玉の輿」の語源とも代名詞とも云われる存在にちなみ、令和元年に神社のマスコットとして「玉の輿たまちゃん」が発案され、境内には可愛らしい像が置かれています。
たまちゃんは鳥居の横にある提灯にも記載があり、お守りにもなっています。
鳥居
通りに面して朱色の鳥居があります。
江戸時代は海岸線に面した土手にあったようですが、今は埋め立てが進んで住宅街の真ん中にあるという印象です。
波除碑
鳥居をくぐるとすぐ左に「津波警告の碑」があります。
1971年に洲崎一帯を台風が原因の高潮が襲い、家屋を呑み込み多くの死者を出す事となりました。この災害を重く見た幕府が、当社から西側一帯を買い上げて冠水地帯とし、災害の惨状を記録した波除碑を設置したとのことです。
黒い説明板の後ろにあるのが波除碑で、歌川広重の浮世絵にも描かれています。
由緒
手水舎
コロナの影響で使用不可でした。
狛犬
ピンク色の台座に乗っています。
躍動感があって格好よく、個人的には好きな狛犬です。
社殿
参道正面に社殿があります。
江戸時代から徳川将軍家や庶民から人気があったようです。
関東大震災などで焼失し、現在の社殿は1968年に再建されたものです。
お賽銭箱には弁天様らしく波に三ツ鱗の社紋が描かれています。
境内社:於六稲荷
ご利益は家内安全、危難除、交通安全
境内社:豊川稲荷
ご利益は商売繁盛、家内安全、殖産興業
境内社:弁天社
御朱印
アクセス
〒135-0042 東京都江東区木場6丁目13番地13号