【浦安三社制覇!】当代島稲荷神社を参拝しました
どうも、デンです。
今回は当代島稲荷神社の参拝記録です。
当神社は千葉県浦安市当代島に鎮座する神社です。
4年に一度開催される浦安三社祭に参加する一社であり、「豊受神社」、「清瀧神社」と共に浦安三社と呼ばれます。
先日豊受神社と清瀧神社は参拝したので、今回の当代島稲荷神社で浦安三社を制覇しました!
ちなみに浦安三社祭は夏季オリンピックイヤーの6月中旬に実施されますが、2020年度と2021年度はともに延期されたようです。
由緒
神社でいただきました。
1689年の創建で、現在の東京都江戸川区小岩町の善養寺から移し祀ったようです。
御祭神は豊受大神(とようけおおかみ)、應神天皇(おうじんてんのう)、春日大神(かすがのおおかみ)です。
一之鳥居
新しさを感じる一之鳥居と社号碑で、ここからの参道は住宅街です。
二之鳥居
住宅街の参道を抜けると二之鳥居と社号碑が見えます。
手水舎
二之鳥居をくぐって右手にあります。
狛犬
参道の両脇に一対の狛犬が鎮座しています。
昭和58年の改築工事で整備された狛犬です。
社殿
参道の正面に拝殿があります。
明治4年に改築、明治41年に再建しましたが、昭和20年に米軍の爆撃に遭いました。その後、昭和34年に再建されましたが腐朽が甚だしく再び昭和58年に再建されました。
本殿
トタン屋根の簡素な覆殿です。
浅間神社、富士塚
社殿の左手に浅間神社があり、中に富士塚が築かれています。
浅間神社の鳥居をくぐると一対の狛犬が置かれており、富士塚と一緒に奉納されました。
富士塚は昭和4年に氏子たちの協力を得て築かれました。頂上に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀った石造りの浅間神社が安置されています。
周辺にも富士講の奉納物が置かれています。
富士塚の右のほうへ回ると登山道もありました。
大鯨の御社
社殿の右側に大鯨の御社があります。
4つの祠が祀られており、右から2番目の祠が大鯨の石祠です。
公式サイトより
大鯨の御社は、碑の左側面に高梨源八、西脇清吉の名が刻まれており、明治八年、当時は現在の船入緑道には船入川が流れていて多くの木造漁船が?がれ、桟橋近くは漁民の社交場ともなっていた。船入川より江戸川にでて引き潮を利用して櫓を漕いで河口へ当時は水門や護岸提もなく、岸辺に葦が生い茂り春ともなるとヨシキリが啼き、鴎が飛び交い漁師は追い風があれば帆を張って川の流れにゆだねて海へ、貝や魚を採って日々の暮らしの糧を稼ぎながら生活を送っていた。
東京湾に鯨がいたということは現在では思いも及ばないことではあるが、水が澄み、自然環境が好く小魚が多く、鯨の餌が豊富だったのであろう。
河口から海へしばらく向かうと三枚洲(葛西沖)という好漁場があり、漁をしようといつものように日の出前に当代島の高梨源八、西脇清吉の両氏は船に立って漁場の三枚洲に近づいていくと、洲の上に大きな黒い大きな魚が暴れているのを見つけて近寄っていくと、うわさが絶えなかった大鯨が浅瀬の汐溜まりに取り残されている。
そこで両氏は驚きと興奮で体が硬直したものの気を取り直し、大格斗の末に大鯨を捕ることに成功し、意気揚々と当代島へと戻った。
両氏が帰還すると村中が知らせを聞いて大騒ぎとなり、老若男女がこぞって見物に来たそうです。
この大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした両氏はすっかり有名人になり、どこへ行っても英雄扱いされたそうです。両氏は大鯨捕獲劇のことで仕事も手につかなくなり、このことに終止符を打つために考えた末に年配者の知恵から稲荷神社に大鯨の碑を奉納し、祀ったとのことです。これが大鯨の碑建立の経緯であります。
社務所
こちらで御朱印をいただきました。
御朱印
清瀧神社と同様、「四年に一度 浦安三社祭」と記載されています。
まとめ
浦安三社祭に参加する一社の当代島稲荷神社を参拝しました。
今回の参拝で浦安三社はすべて訪問しました。
豊受神社、清瀧神社と同様、当代島稲荷神社にも富士塚がありました。浦安三社にはいずれも富士塚が築かれており、浦安で富士講が流行っていたことがうかがえます。
私が参拝したときはシャボン玉で遊んでいる親子やラジコンで遊んでいる親子もおり、地域の方々に親しまれているのがわかりました。
清々しくて非常に雰囲気のいい神社でした。
アクセス
住所
千葉県浦安市当代島3丁目11番1号
東京メトロ東西線 浦安駅 徒歩15分
駐車場有:私は駐車場の存在を知らず、近隣の駐車場に止めてしまいました。