【仕事運アップで商売繁盛!】神田明神を参拝しました
どうも、デンです。
今回は神田明神の参拝記録です。
当社は東京都千代田区神田に鎮座する神社です。
神田明神は元准勅祭社(もとじゅんちょくさいしゃ)であり東京十社の一つに数えられます。
正式名称は「神田神社」ですが、「神田明神」と呼ぶ方が多く、当社も「神田明神」と称することが多くなっています。
江戸三大祭りの一角として有名な「神田祭」を古くから取り行ってきた神社として知られ、江戸時代を通して「江戸総鎮守」として徳川幕府だけでなく江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
現在では地元神田はもちろん、大手町や丸の内など日本経済の中枢をなす108町会を氏子に持ち、数多くの企業による参詣が行われています。
Q.東京十社、元准勅祭社(もとじゅんちょくさいしゃ)を分かりやすく教えてください
A.皇居が京都に在った昔から、国家鎮護のために天皇陛下から勅使が遣わされる神社があり、「勅祭社」と呼ばれていました。明治天皇が東京にお移りになられた際、この「勅祭社」に准ずる神社として「准勅祭社」を定められました。これが東京十社の始まりです。この制度は現在無くなったので元をつけて「元准勅祭社」となっています。
以前参拝した品川神社も元准勅祭社でした。
由緒
江戸東京で最も歴史のある神社です。
神社パンフレットより
社伝によると、天平二年(730)に御創建とあり、約1300年の歴史を持つ江戸東京の神社の中で最も古い神社の一つです。はじめは現在の千代田大手町の将門塚周辺に鎮座していました。その後、延慶二年(1309)に平将門公をご祭神としてお祀りいたしました。
慶長八年(1603)、徳川家康公が江戸城に幕府を開き拡張する際、当社は社地を江戸城から裏鬼門の位置にあたる現在の地へ遷し幕府より御社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府はもちろんのこと江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
明治時代に入ると準勅祭社、東京府社として皇居・東京の守護神と仰がれました。明治七年(1874)、茨城県・大洗磯前神社より少彦名命をお迎えいたしました。さらに同年、明治天皇が親しくご参拝されました。
平将門命は明治七年に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、その後、神職及び氏子総代をはじめとする氏子崇敬者の懇願により、昭和五十九年、再び神田明神の三の宮ご祭神に復座されました。
大鳥居
立派なたたずまいの銅鳥居です。
社号碑には「神田神社」の文字。品川神社は社号碑に「元准勅祭」と記載がありましたが、こちらはシンプルです。
参道には喫茶店など色んなお店が軒を連ねています。
随神門
参道の先には鮮やかな朱色で様々な彫刻がほどこされた、豪華な随神門があります。
1975年に昭和天皇即位50年記念として再建された門です。外周りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側にはだいこく様の神話をモチーフにした彫刻「因幡の白兎」、2層目には将門公に由来する「繋馬」などの文様が配されています。
手水舎
随神門の左手にありますので、まずはこちらでお清めをしましょう。
本殿
随神門をくぐると正面に鎮座しています。
1934年に再建されたもので、神社初の鉄骨鉄筋コンクリート造りですが、木造建築に見えるような様々な工夫が施されています。
とても丈夫で東京大空襲を耐え抜いたほどです。
夜は本殿がライトアップされるようで、夜の参拝もおすすめみたいです!
狛犬
本殿前に一対の狛犬が鎮座しています。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、正面を向いている珍しい狛犬です。
筋骨隆々といった感じで、表情も引き締まっています。
齋館・資料館
社殿左に作られています。
毎日開館していて大人300円、学生200円、中学生以下は無料です。
様々なイベントが企画されています。
だいこく様ご尊像
随神門をくぐって左手にあります。
昭和51年に完成したもので、高さ6.6メートル・重さ30トンとかなり大きく、石造りでは日本一だそうです。
えびす様ご尊像
後程ご紹介する文化交流館「EDOCCO」の隣に位置しています。
大海原を木の実の船に乗り、イルカやタイ、トビウオなどに守られながら渡る姿を造形しています。
獅子山
江戸末期に作成された石造で、千代田区指定有形民俗文化財です。
かなりの高さと迫力があり、一見の価値ありです。
男坂
獅子山の右手にある石段の坂です。
天保時代に神田の町火消しが石段と石灯籠を奉献したのが男坂の始まりと言われています。
アニメ「ラブライブ」に登場し、ファンの間では聖地となっているよ!
裏参道
鳥居の先にある石段の坂が女坂です。
御神馬あかりちゃん
社殿左に御神馬「あかりちゃん」がいます。
境内で散歩に出かけるところを撮影しました。
ゆっくりと歩いていて、参拝者に癒しを与えてくれる存在でした。
ただ、過去には脱走したこともあるそうです。
大公孫樹(おおいちょう)
江戸時代からの由緒ある樹木です。関東大震災で神社の諸施設がことごとく炎上した中で、焼け跡に唯一残されたのがこの大公孫樹でした。
さざれ石
国家「君が代」に出てくるさざれ石です。
摂社
社殿の左手から裏手にかけて、ぐるっと囲むように多くの境内社があります。
本社に縁故の深い神様を祀った摂社が3つ、摂社に次ぐ格式をもつ末社が6つ鎮座しています。
摂社:江戸神社
702年創建の江戸最古の地主神です。神田祭で担がれる千貫神輿が納められています。
摂社:大伝馬町八雲神社
日本橋大伝馬町の人々によって祀られた神社で、鉄製手水桶も見ものです。
ちなみに社殿前の手水桶も鉄製です。
摂社:小舟町八雲神社
4年に一度、小舟町で神輿渡御が行われます。
3つの摂社を総称して「牛頭天王(ごずてんのう)三社」と呼んでいました。
末社:魚河岸水神社
徳川家の武運長久と大量安全を祈願して建立されました。
現在も魚河岸会によって崇敬されています。
末社:合祀殿
8柱の神々(籠祖神社・八幡神社・富士神社・天神社・大鳥神社・天祖神社・諏訪神社)を合祀した社殿です。
末社:末廣稲荷神社
江戸初期に旧小舟町の鰹節卸社により祀られたと云われています。
末社:三宿稲荷神社・金刀比羅神社
江戸時代は舟人の守護神で、一角にある水盤は千代田区指定有形民俗文化財となっています。
末社:浦安稲荷神社
鎌倉町の守護神として勧請されました。
石碑
境内には数多くの石碑が置かれていますので、一部ご紹介します。
明治天皇御臨幸記念碑
明治7年に明治天皇が当社へ御臨幸されたことを記念して建立されたものです。
明治天皇が御臨幸された神社は都内で当社と靖国神社のみです。
力石・角田竹冷の句碑
江戸神社の横に並んであります。
力石は柴田四郎右衛門とうい若者が力比べで持ち上げた巨石です。
銭形平次の碑
小説の銭形平次が明神界隈で活躍していたことにちなんで建立されました。
銭形平次に関しては、顔はめパネルもありました。
江戸国学発祥の碑
国学の四大人の一人にも数えられる荷田春満(かだのあずまろ)らによる江戸国学発祥を記念して建立されたものです。
阿部筲人(あべしょうじん)の句碑
阿部筲人の俳句「山茶花の散るや己の影の中」が刻まれています。
小唄塚・小唄作詞塚
小唄作曲家の吉田草紙庵追悼のため、10代目市川団十郎らによって建立されました。
神楽殿
随神門をくぐって右手にあります。
明神会館
当社では年間約300組の神前結婚式が行われ、ここで披露宴を行います。
文化交流館 EDOCCO
境内にガラス張りのお洒落な建物「文化交流館 EDOCCO」があり、こちらで御朱印もいただきます。
伝統×革新がコンセプトで、2018年にオープンしました。
1階はショップとカフェ、2・3階はイベントを行う神田明神ホール、地下1階は各種イベント向けのEDOCCOスタジオがあります。
ショップには神社に関する本や色んな種類の御朱印帳が売られています。
ヒノキが表紙になっている珍しい御朱印帳もありました。
神社声援(ジンジャーエール)はかなり上手いシャレが効いています!!
神田明神のお神輿のミニチュアもあり、大きさなどわかりやすく説明がされています。
EDOCCO2階から社殿を撮影すると、奥にスカイツリーが見えました。
御朱印
「元准勅祭」と干支の虎が描かれていました。
所感
東京十社のうちの一社である神田明神を参拝しました。
参拝した日は一粒萬倍日であり、平日にも関わらず多くの方が参拝していました。
たくさんの境内社があり、獅子山や日本一大きなだいこく様のご尊像など、見どころが多い神社でした。
1,300年の歴史も感じますが、EDOCCOオープンなど新しさも感じることができる素晴らしいパワースポットです。
EDOCCOでは綺麗なトイレも完備していて、割と長時間参拝しがちな私にとって安心できる良いポイントでした。
都心で駐車場が高い場所ですので、参拝者用の駐車場を完備している点もGOODです!
皆さんも是非、参拝してみてください!
アクセス
住所
東京都千代田区神田2丁目16番2号
JR中央線・総武線 御茶ノ水駅(聖橋口) 徒歩5分
JR京浜東北線 秋葉原駅(電気街口) 徒歩7分
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(1番口) 徒歩5分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(B1出入口) 徒歩5分
東京メトロ銀座線 末広町駅 徒歩5分
東京メトロ日比谷線 秋葉原駅 徒歩7分