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【勝負運のパワースポット!】中野氷川神社を参拝しました

どうも、デンです。

今回は中野氷川神社の参拝記録です。
当神社は東京都中野区に鎮座する神社です。
御祭神が須佐之男命(スサノオノミコト)ですので、勝負運のパワースポットとして知られています。
スポーツの試合、大事な仕事、好きな人への告白など、ここ一番という時に参拝するのが良いと思います!

御由緒

境内掲示板より
 この氷川神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したのが起源と伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますので、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがえます。祭神は須佐之男命・稲田姫尊・大己貴尊の三柱です。
 江戸期の祭礼では湯立神楽が奉納され、別当である宝仙寺の社僧が護摩修行を執り行っていました。淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子はそれぞれの地区の幟や提灯の美を競い、豊年には、獅子舞・相撲・力石を持ち上げる力くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事でした。明治・大正期の華麗な神輿や山車の巡行は今も語り草になっています。そして現代でも、氏子三十六町会が集結する例大祭は、中野区最大の祭礼です。
 拝殿にある江戸時代前半の石の狛犬や、奉納された力石など、境内には中野の歴史を語る多くの区登録指定文化財があります。

鳥居

東中野駅の西口を出て山手通りを南下し、大久保通りとの交差点で左折すると表参道入口があります。社号碑には「氷川神社」の文字があり、帝国陸軍大将の本庄繁氏による揮毫のようです。


参道の両側は住宅地となっており、住宅の前に石灯籠も置かれています。

二之鳥居

三之鳥居

二之鳥居の先にある石段を上るとあります。
「鍋屋横丁」という東京三大横丁の一つの由来となった茶屋・鍋屋の店主、鍋屋勘右衛門が幕末の1862年に奉納したもので、区の登録有形文化財となっています。

手水舎

三之鳥居をくぐると右手にあります。
かなりユニークな顔つきです。

狛犬

三之鳥居をくぐったところに一対の狛犬が鎮座しています。
台座が古く、狛犬は新しく奉納されたものです。阿形・吽形ともに子持ちとなっています。

社殿

参道の正面に鎮座しています。
1969年に造営されたもので、朱色を基調とした綺麗な社殿です。
扁額の「氷川神社」は勝海舟の揮毫とのことです。

社殿を背景に撮影するとこんな感じで、結構広々としています。

狛犬

社殿前に一対の狛犬がいます。
現代的な狛犬で、表情も引き締まって良い感じです。

西参道鳥居

東中野駅西口から山手通りを南下した通り沿いに西参道があります。

西参道二之鳥居

西参道を進むと二之鳥居があり、こちらをくぐると表参道と合流します。

狛犬

二之鳥居の先に一対の狛犬が鎮座しています。
やや古い感じがしますが1941年に奉納されたものです。

境内社塩釜神社

海の神様なので海上安全、延命長寿のご利益が期待できます。

境内社:稲荷神社

境内社御嶽神社、北野神社

左が御嶽神社で右が北野神社です。

庚申塔

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られています。
中野区最古の庚申塔として、区の登録有形文化財に指定されています。

機雷と石碑

二之鳥居をくぐった先にある石段の下から撮影しました。場所は稲荷神社の後ろ側です。
機雷は日露戦争で使用された機雷のようです。
横にある「忠孝」の碑は、海軍大将だった井出謙治氏の揮毫のようです。

社務所

今は御朱印対応を控えているということでした。残念。

所感

東京都中野区に鎮座する中野氷川神社を参拝しました。
当然中野駅が最寄り駅だと思って中野駅から参拝に向かったのですが、最寄り駅は東中野駅でした。きちんと調べることが大事です...
山手通りや大久保通りの近くですが、境内の雰囲気は荘厳で落ち着いています。
写真を見て気づかれた方もいるかと思いますが、参拝した日は雨天でした。
しかも、家を出る段階でこの雨量であれば、出かけないというぐらいの降りです。
それにも関わらず複数の参拝者がおり、地域の人々の信仰の篤さが伺われました。
ただ、個人的には次回参拝するときには晴れの日が良いなと思いました。
もっとゆっくりしたかったです。
冒頭にも書きましたが、当社は勝負運のパワースポットとして知られています。
仕事、プレイべーと問わず、「いざ勝負!」という時に参拝してはいかがでしょうか。

アクセス

住所
東京都中野区東中野1丁目11番1号
JR中央・総武線 東中野駅 徒歩約5分
都営地下鉄大江戸線 東中野駅 徒歩約5分
駐車場あり